漫画『るろうに剣心』の京都編で登場する志々雄一派の組織・十本刀。
安慈は十本刀の一人であり、上位三名の実力者の一人でもありますが、他の十本刀と違い我欲で志々雄一派に加担したわけではなく、無駄な殺生をしない心優しい一面も持ち合わせていました。
では、なぜ安慈は志々雄一派に与することになったのでしょうか。
今回は悠久山安慈の過去と目的についてご紹介したいと思います。
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悠久山安慈(ゆうきゅうざんあんじ)とは
引用元:和月伸宏『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 出版:集英社
悠久山安慈は、仏の定めた戒め(不殺生不淫等)を破って恥じない堕落した僧、即ち破戒僧です。
京都編冒頭、相楽左之助が京都を目指す途中迷子になったところ、下諏訪付近の森の中で修業をしていた安慈と左之助は出会い、安慈は左之助に『二重の極み』を伝授しました。
元々仏道に身を置いていましたが、とある理由から仏への信心を捨て『真の救世』の道を追い求めるようになり志々雄一派に与することとなります。
安慈の過去
明治二年、雪深い蝦夷(北海道)の地で官軍と幕軍の戦いがまだ続いていた頃、山間の村にある「十楽寺」で安慈は寺の和尚として過ごしていました。
当時の安慈は背丈こそあれど子供の喧嘩も仲裁できない怒るのが苦手な優男であり、戊辰戦争で親を亡くした身寄りのない子供たちの面倒を見ていました。
しかし、十楽寺は檀家の一軒もない貧乏な寺であるため、安慈自らが敷地内で畑を耕し自給自足の生活を送っていたのです。
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)による迫害
廃仏毀釈とは、慶応四年(明治元年)に明治政府が布告した神仏分離令による仏教勢力の抑制が行われた結果、日本中に仏教弾圧の嵐が巻き起こり数多くの寺院・仏具・経文が破壊された出来事です。
そのため、明治政府の方針に従い「十楽寺」も村の寄合で話し合った末に廃寺する運びとなり、安慈は村長から村から出て行くように言われました。
安慈を含めた「十楽寺」の子供たちをまとめて追い出す方針となったのは、椿(身寄りのない子供たちの中で年長の娘)の父親である前村長とその一派が戊辰の役の折に幕府側に付き尽力したため、今の村は明治政府の恩恵が非常に薄くなってしまったのです。
幸い現村長の友人に県令と馴染みの者がいたため、問題となる十楽寺の関係者がいなくなれば村の富を築けるというのが安慈たちが追い出される最大の理由でした。
子供たちの死
村から出て行くように言われた安慈は子供たちを連れて新しい土地に引っ越して暮らそうと決意しますが、事件はその矢先に起こります。
村長たちは明治政府の恩恵の分配に限りがあることを知ると、他の村に富が持って行かれる前に早く話を通すため十楽寺の襲撃を決行。
ある晩、安慈が寺から少し離れた場所で滝行をしていると十楽寺が放火されていることに気づき急いで寺へ戻りますが、村長の手の者による闇討ちから後頭部を殴打され気絶してしまいます。
安慈は気を失う寸前までこれまで辛い思いをした子供たちが無事であるようにと祈りを捧げていましたが、早朝に目を覚ますと十楽寺は全焼。安慈の願いもむなしく子供たちは全員焼死してしまったのです。
今でも安慈は子供たちの位牌を大切にしまっています。
「明王」の誕生
全焼した木材に埋もれる子供たちの焼死体を目にした安慈は慟哭すると、唯一焼け残っていた仏像に対し怒りの鉄拳を当て「何故この子たちを見捨て給うた…」と絶望に伏します。
その際、安慈の脳裏に過ぎったのは「怒る時は心を鬼にしてしっかり怒らなきゃ。和尚様は只でさえ人一倍優しい顔つきなんだから」と言っていた椿の言葉。
初めての激情を抱えた安慈は椿の言葉を思い出すと、彼女の炭化した手を握った際に付着した煤を使い、目元に隈のような模様をなぞり憤怒の化身・不動明王の如き形相に己を変貌させるのでした。
村長たちへの復讐
筋力のなかった安慈は5年の歳月を経て現在の筋骨隆々な体格にまで成長すると、十楽寺を焼いた村長たちへの復讐を決行しています。
その際、ほとんどの遺体はへしゃげたように圧力をかけられたような形状をしており、最後の一人に至っては頭部を鷲掴みにしたまま合掌するように押し潰して殺害しています。
また、殺害時には南無阿弥陀仏と念仏を唱えています。
十本刀への加入理由
人面獣心の外道共が本来救われなければならない心清き者達の未来を奪う現実を知った安慈は、幕末の動乱を経て時代は明治に移ろいでも急な変革に人心は乱れ腐敗し救えない者が世に溢れすぎたことから、救わなければならない者を救うため・救えぬ者に罰を与えるために明治政府への破壊を考えます。
そして、当時の安慈を勧誘したのが志々雄真実であり、安慈は「明治政府への破壊」という動機が合致したため十本刀への加入を受けました。
また、十本刀へ加入した際、人に罰を下す憤怒の化身・不動明王になることを受け入れたのです。
加入条件
十本刀への加入条件は無益な殺生をなくすため『生殺与奪』の自由を握ること。
例え志々雄が抹殺の命令を下しても敵方の生き死には安慈の意思一つで自由にできる──という条件です。
実際には安慈の目の届く範囲だけの権限ですが、この条件の下、敵方の生死で十本刀内で意見が分かれたとしても安慈は引き下がりません。
破戒僧となったものの仏道に生きた生い立ちから十本刀の中で最も情け深い性格であり、京都大火の中でも十本刀加入時の条件を全うするように宇水から操を守り無駄な殺生を禁じました。
安慈の目的『救世(ぐぜ)』とは
安慈は仏への信心は捨てましたが救世の心は捨てていません。
仏道に身を置いていた当時、救世とはこの世の全ての者を苦しみや迷いから救うものと心から願っていましたが、この世には救うに全く値しない畜生・餓鬼の如き者共が確実に存在することを知りました。
そのため、人の心を救世できるのは人の手でのみというのが安慈が辿り着いた現実であり、そのためには神仏をも凌駕する力が必要でした。
こうした経緯から安慈は救世の力を得るために独自の修業を積み二重の極みを修得しています。
真の救世
救わなければならない者を救うため・救えぬ者に罰を与えるために十本刀へ加入した安慈が導き出した『救世』とは、この世の全てを一度破壊し焼き払い再び無に戻すことです。
まずは土台を無に戻した上で、救うべき者を救い、罰するべき者を罰し、人の心から再生を計るというのが真の救世と考えています。
子供たちの転生までが救世
安慈の最終的な着地点は殺された十楽寺の子供たちが輪廻の輪をくぐり再び転生する時です。
子供たちが転生する場としてこの世を再生しようとしており、子供たちが転生するまで負ける訳にはいかないというのが安慈の行動理念です。
志々雄の作る新時代
安慈は志々雄と目的が合致したことから力を貸すことを決めましたが、仮に志々雄が天下の覇権を握ったとしても、志々雄が作る新時代が『救世』にそぐわないものであればその時は志々雄を敵に回して再び破壊する意志を見せています。
二重の極みの習得
通常、物を壊すために拳打で衝撃を加えると全ての物には抵抗が存在するためその衝撃は完全に伝わり切りません。
しかし、拳を立てて物に第一撃を加えた後、第一撃目の衝撃が物の抵抗とぶつかった瞬間に拳を折って第二撃を入れること9で第二撃目の衝撃は抵抗を受けることなく完全に伝わり物を粉砕することができます。
これが安慈が10年の修業で会得した破壊の極意です。
安慈はこの極意に到達してから石一つを粉砕するのに一月かかりましたが、現在ではほぼ全身から二重の極みの使用可能。
元々、二重の極みは救世のために編み出した秘伝ですが、偶然出会った左之助に命を懸けることを条件に伝授しました。
通当て
二重の極みを応用したもので、衝撃の伝播で遠くの物を破壊する技です。
剣客でもない安慈が十本刀として刀剣を携えている理由は、剣を軸に地面に二重の極みを入れてその衝撃を伝導させる関節攻撃のための道具であるからです。
悠久山安慈と悲鳴嶼行冥の類似点
悠久山安慈は、他作品「鬼滅の刃」に登場する悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)とよく比較されます。
①寺で孤児の面倒を見る僧侶
②当時は優男で頼りないが、現在は筋骨隆々
③子供たちを何らかの悲劇で失う
確かに両キャラクターとも住職として身寄りのない子供たちの面倒を見ており、穏やかな性格や頼りない身体などの特徴も酷似し、子供たちを不幸で失い、再起した時には筋骨隆々になるまで鍛えているのも共通します。
こうした生い立ちから悲鳴嶼行冥の誕生には多少なりとも「るろうに剣心」の影響があるのではないかと噂されていますが、真相は不明です。
しかしながら、時代背景的に僧侶という職業は珍しくなく、寺が孤児を養うことも当時は普通のことであるため、両作品とも僧侶のキャラクターを出すと決まった段階で生い立ちに関しては似てしまうのは仕方ありません。
また、僧侶のキャラクターに悲しい過去を背負わせるには、孤児が犠牲になる──というアイデアは誰しも発想するものなので、後発の「鬼滅の刃」が「るろうに剣心」から着想を得た確証にはなりません。
加えて、両キャラクターの相違点としては、安慈が子供たちへの復讐と怒りから『この世の全てを一度破壊し焼き払い再び無に戻す』救世の道を選択したのに対し、悲鳴嶼は自身の心を救ってくれた恩人に報いる気持ちと子供たちのような被害を生まないために戦うことを選択していますので、復讐か報恩という明確な行動理念の違いがあります。
子供たちを殺害したのが人間か鬼という復讐対象の違いが両者の選択を分けたことになりますが、簡潔に言えば闇落ちした僧侶が悠久山安慈です。
まとめ
悠久山安慈の過去と目的のまとめ
- 悠久山安慈の過去
- 蝦夷(北海道)の山間の村にある「十楽寺」で和尚を務め、孤児を養っていた
- 慶応四年(明治元年)に明治政府が布告した神仏分離令による仏教勢力の抑制が行われ、日本中に仏教弾圧の嵐が巻き起こり数多くの寺院・仏具・経文が破壊される
- 廃仏毀釈の煽りで「十楽寺」の廃寺が決定し村を追い出されることになる
- 村長率いる村の一部が明治政府の恩恵を得るために「十楽寺」を放火し子供たちを殺害する(※その際、安慈は闇討ちを受けて気絶させられる)
- 生き残った安慈は優しい心を殺して憤怒の化身・不動明王となることを決意
- 5年後、当時の実行犯である村長たちを殺害し復讐を果たす
- 救わなければならない者を救うため・救えぬ者に罰を与えるために明治政府への破壊を考える
- 志々雄一派と「明治政府への破壊」が合致し十本刀に加わり力を貸す
- 十本刀への加入条件は無益な殺生をなくすため『生殺与奪』の自由を握ること
- 悠久山安慈の目的
- 仏道では何も為せないと考えた結果、「人の心を救世できるのは人の手でのみ」と至る
- 神仏をも凌駕する力が必要と考え、10年の修行の末に二重の極みに辿り着く
- 「救世」の道とは、この世の全てを一度破壊し焼き払い再び無に戻すことで、救うべき者と罰するべき者を選別し、人の心から再生を計るというもの
- 最終的な着地点は殺された十楽寺の子供たちが輪廻の輪をくぐり再び転生する時
- 志々雄が作る新時代が「救世」にそぐわないものであれば、志々雄を敵に回して再び世を破壊する覚悟
- 悠久山安慈と悲鳴嶼行冥の類似点と相違点
- 寺で孤児の面倒を見る僧侶
- 当時は優男で頼りないが、現在は筋骨隆々
- 子供たちを何らかの悲劇で失う
- 両キャラクターには「復讐」か「報恩」かという明確な行動理念の違いがある
- 「鬼滅の刃」の作者が「るろうに剣心」から着想を得たかは不明
心優しい僧侶だった安慈は明治政府が布告した神仏分離令の煽りをうけて子供たちを皆殺しにされたため、憤怒の明王として罰するべき人間を裁く側に立ってしまいました。
貧しくも孤児たちの幸せを願い仏道に身を置いていた安慈が破壊活動に走った経緯は心苦しい出来事ですが、志々雄一派による被害者のほとんどもまた罪のない一般人のため、安慈の加担は許せるものではありません。
とはいえ、新政府の闇の部分にも問題が山積みのため、元々心優しい人間だった者が安慈のように復讐に生きることも多かったのかもしれません。
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