【スラムダンク】赤木剛憲のその後や進路は?深体大学のスカウトの件は何故なくなった?

部活を引退した赤木 SLAM DUNK

1996年に連載終了した人気スポーツ漫画『SLAM DUNK』。

主人公・桜木花道を有する湘北高校バスケ部のキャプテンである赤木剛憲は、神奈川ナンバーワンセンターを争う実力を持ち、終盤には全国に通用するセンターとして描かれました。

そんな赤木剛憲はインターハイ前に大学推薦の話を受けるわけですが、インターハイ3戦目で敗戦したため推薦が白紙となりました。

では、なぜ赤木剛憲の推薦は取り消されたのでしょうか。

今回は赤木剛憲の推薦取消やその後についてご紹介したいと思います。

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赤木剛憲の深沢体育大学推薦の話

深体大の推薦を受ける赤木

引用元: 井上雄彦『SLAM DUNK』 出版:集英社

湘北高校がインターハイ出場最後の枠をかけた陵南高校に勝利し全国大会出場を果たしてからトーナメント開始までの間に、深沢体育大学監督・唐沢一雄と現役3年生・杉山祥太が赤木宅を訪問し直接スカウトをしています。

大学日本一のチームを有する深沢体育大学監督の唐沢は翔陽の花形透、海南大付属の高砂一馬、陵南の魚住純など神奈川屈指のセンターの中から赤木剛憲を評価したのです。一方で、現段階で赤木剛憲というセンターは全国的に無名選手であるため、これから望む全国大会で周囲を納得させるほどの実績を望まれています。

トーナメント二回戦で湘北高校はインターハイ3連覇を成す覇者・山王工業高校と激突。第2Qには15点差をつけられてしまいますが、この時点では唐沢監督は「ここで負けても赤木は獲るぞ、オレは」と意気込みを見せていました。

結果、湘北高校は敗北どころか王者相手に辛勝するという偉業をなし、あの山王工業相手に白星をあげるという箔をつけたわけですが、次の試合で惨敗した湘北はベスト8になれず赤木剛憲の深体大学推薦の話はなくなってしまったのです。

では、なぜ赤木を獲得する気だった唐沢監督は赤木の推薦を取り消したのでしょうか。

深体大学推薦の話がなくなった理由は?

赤木の獲得はあくまでも深沢体育大学監督である唐沢と杉山の推薦に留まる話でした。

しかし、粒揃いの神奈川県センターから無名の赤木を推薦するには周囲を納得させる「実績」が必要であるため、赤木はインターハイでベスト8の実績作りを望まれました。杉山も全国デビューは高校3年生の夏であり、赤木と似たような境遇であったものの、ワンマンチームで何とかベスト8に入ったことで深体大の目に留まったわけです。

つまり、杉山という前例がある以上、最低でもベスト8に入りさえすれば周囲を納得させるには十分な材料になると唐沢は判断したわけですが、その一方で山王工業戦で「ここで負けても赤木は獲るぞ、オレは」と発言しながらも、赤木の推薦を白紙に戻したのはなぜなのでしょうか。

1、ベスト8に入れなかった

繰り返しになりますが赤木の推薦条件は「ベスト8」に入ることです。

日本一の深体大の推薦枠を得るには周囲を納得させるだけの実績が必要であり、赤木に課せられた条件は「ベスト8入り」でした。いくら山王工業相手に勝利したとしても、次の試合ではボロ負けしているわけですし、チームとして山王に勝利しても赤木個人の実力を評価するには説得力がなかったのでしょう。

また、赤木自身も頑固であるため仮に唐沢監督が赤木を推薦するとしても、本んんが最初に提示された条件を満たしていないと納得しなかった可能性も否めません。

現段階では赤木推薦の話が白紙になった理由として単純に「ベスト8」入りの条件を満たせなかったのが一番有力であると思われます。

2、河田兄に実力で劣る

もう一つの有力なのが赤木とマッチアップした河田雅史に実力で劣っていることです。唐沢監督は「ここで負けても赤木は獲るぞ、オレは」と発言していますが、その後にこのように続けています。

「あの河田相手にどれだけのプレイをするか…にかかってる」

唐沢監督は、仮に赤木がベスト8に入れなくても河田雅史相手に良いプレイを見せることができれば周囲を納得させられると考えたのでしょう。つまり、赤木は『ベスト8入り』を逃しても『河田雅史相手にある程度の実力を見せる』ことができれば推薦を得られた可能性が充分にあったわけですが、赤木は後半立て直すものの前半から中盤あたりまでは逆に実力差を見せつけられています。

山王工業に勝利はしたものの、個人能力で見れば赤木と河田はまだまだ違う世界の実力差があります。

また、同じく観戦に来た杉山独自の意見としては、赤木は現段階で大学に入っても通用するセンターと評価する一方で、河田は現段階でも大学でベスト3のセンターに入る実力があると評価しています。

そのため、試合終了後、湘北の勝利に徹した赤木のセンターとしての評価はいまいちだったのだと思われます。結局、河田兄相手に周囲を納得させる活躍を見せられなかったことが唐沢監督が推薦できなかったもう一つの理由ではないでしょうか。

3、素行不良

赤木は学力や授業態度には問題ありませんが、現在の桜木花道たちが入部以前(あるいは赤木が二年生の頃)に部員を投げ飛ばしたことがあります。

全国制覇が夢である赤木は部員たちにも厳しい練習を課してきたため、多くの部員は赤木の押し付けに辟易し嘘を吐いてまでサボることもありました。この時、赤木は自分の夢を軽んじた部員を無言で持ち上げて黒板に投げ飛ばすという奇行をとってしまっています。

確かに、全国制覇を軽んじる発言をした部員もよくはありませんが、赤木も全国的に強豪校でも何でもない普通のバスケ部に全国制覇を強要し厳しい練習量を押し付けた身勝手な部分があります。また、彼らは全国制覇を成し遂げたいなら強豪校へ行けばいいと正論を言っており、赤木も何も言い返せませんでした。

本来なら赤木がやったことは停学になってもおかしくない危険行為ですが、当時の倫理観か漫画だからか、赤木に処分が下った描写はありません。仮に、赤木の推薦が決まったとしても、素行調査などで赤木のパワハラや暴力行為が浮き彫りになれば問題になってもおかしくはないでしょう。

時代が時代なら推薦取消には十分な理由です。

赤木剛憲のその後は?

インターハイ敗戦後、赤木と小暮は部活を引退し受験生となりました。

その際、赤木は深沢体育大学の推薦の話が無くなりもともとの志望校を受験することになったと綴られているため、深体大とは違う大学を受験することを示唆されています。

コミックス一億部突破を記念して行われたイベントで井上雄彦先生が書いた黒板漫画・スラムダンク「あれから10日後」では、主要キャラクターのインターハイ終了後の様子が描かれており、受験生となった赤木は部活を引退したことを理由に部内への顔出しをしないと決意するも顔出ししたくてそわそわする様子や、バスケがやりたくて成績が落ちるといったと綴られています。

一方で、赤木の進路については何も触れられていないため、本当に深体大と違う大学を受験したのか、それとも一般受験で深体大に進学するつもりなのかなど、何もわかっていません。

赤木は部活に復帰する?

スラムダンク「あれから10日後」が掲載された雑誌・Switchの表紙に、インターハイ後の湘北のユニフォーム姿が描かれています。

3年生の引退後、新キャプテンとなった宮城は背番号4を着ていますが、この表紙の赤木の背番号は15。おそらく、受験中にバスケがやりたくなったので結局参加あるいは復帰したのではないかと推察されますが、赤木が国体や選抜に挑んだのかどうかは不明です。

単なる表紙の都合上の演出なのか、赤木の成績では部活を続けてても志望校への受験が余裕だったため復帰したのか、練習試合などに限定的に復帰しているのか、果たして…。

最終話で三井が「引退しよーが落ちる奴は落ちるんだよ」と述べているため、文武両道の赤木なら一般受験で志望校をマークしつつ、国体や選抜で推薦を狙うことも可能ではと思ってしまいますね。

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まとめ

赤木は全国クラスのセンターの実力を持ちますが、残念ながら無名かつ「ベスト8入り」や「河田雅史相手にどこまでやれるか」という実績を残せなかったため推薦の話が無くなってしまったと考えられます。

その後、深体大は諦めて元々の志望校を受験すると書かれていますが、志望校がどこなのかは不明。赤木の成績なら一般受験で深体大に受かりそうなものですが、果たしてどこを受験したのでしょうか。

雑誌・SWITCHのユニフォームについては未だ一時的な復帰なのか、国体などにも復帰したのかわかりません。しかし、赤木なら受験しながら部活を最後まで続けても問題なさそうなので、復帰したのかもしれませんね。

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